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験担ぎ

一人黙って飲んでいても、何年か通っていると、顔見知りはできる。話はしないまでも会釈ぐらい交わすようになる。
職場近くで出遭う人が、その飲み屋の常連客だと気づくのには時間が掛かった。早朝、7時前、自転車で走っていく人が、頭を下げたように見えた。破帽という程ではないにしても、かなり年季の入った作業帽を被っていた。色褪せたデニムの上着に薄青い作業用ズボン。歳は一緒か少し上に見えた。
ある時、いつものように常温のコップ酒を頼むと、
これあちらさんからです。と言って、出された。
その方角を見ると、自転車の人が、常連客指定の壁際に凭れていた。
満面の笑みだが、奢ってもらう謂れはない。
店の大将が、こちらを向いて、右手でスマナイと手刀を切っている。
私の近くにいた大将の連れが、小声で説明してくれた。
ボートで、なにがしかの勝ちが入ったらしい。独り占めすると二度と勝ちが来ないということなので、知っている人に勝ちを分けている。博打打ちの験担ぎのようなものなので、今日のところは、あちらさんの顔を立ててください。と頭を下げられた。
仕方ないので、コップ酒を飲む前に、あちらさんへ頭を下げた。
どれぐらいの確率で勝てるのか知らないが、そんなに勝ちがあるわけでもないだろう。勝ったら勝ったで、妙な験担ぎをしなければならない。
損をするしかないように出来ている。
そんなことを考える私は、所詮、勝負事には縁がない。かと言って、その代わりに何を得たか、分からないのだが。

自転車の人からは、その後も一度、コップ酒を振舞ってもらったことがある。その時は、ボートの勝ちによるものではなく、彼の個人的な祝い事が理由だった。

店が無くなって、彼は、どこで飲んでいるのだろうか。
それに、飲んだ後は、もう自転車には乗れない世の中だ。