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バターピーナッツ

黄色く油ぎったピーナッツを探している。
しかし、何事も健康志向の世の中、時流に逆らうようなそんな商品は見つからない。昔懐かしいバタークラッカーに似た商品はあっても、これもまた記憶の中にあるような黄色く油ぎったものではない。昔のものも、当然ながら、バターなど使ってはいなかったのだろうが。

妻の父はバターピーナッツが好きだった。
晦日紅白歌合戦が終わると、除夜の鐘を聞ききながら、近くの神社へ初詣する。神殿前で御神酒を頂き、蜜柑を2個か3個貰って帰ると、年越し蕎麦を食べた。その後、義父は、もう少し飲みませんかと言って、水割りのウィスキーを作ってもらい、本棚にあるガラス容器からバターピーナッツを出した。
今も昔も、お腹が一杯になると、私はもう飲みたくない。それでも一杯ぐらいは一緒に飲んで話をした。どんなことを話したのか、何も覚えてはいないのだが、義父は上機嫌で、このあとは若い人たちでやってくださいと言って、寝室へ行った。
若い人たちというのは、私と妻と、妻の弟の三人だった。大晦日のあとの深夜放送を眺めながら、私は、それでも30~40分は起きていただろうか。
何もかも遠い昔のことなのに、義父の笑顔や話し声を思い出した。
義父は最期まで私に敬語を遣う人だった。

夜中のトイレ

午前2時過ぎ。トイレに起きる。
夜中に2度くらい目が覚めて、そうこうしながら起床の5時前くらいになる。
妻のベッドの上にいる猫が、寝言を言っているのを聞きながら、暫く、心に浮かぶ言葉を追いかけていた。

動物園のパンダが死んだ。
妻は、その飼育日記をSNSでずっと読んでいた。
中国へ返さなくてはならないのだけれど、心臓が悪く、長旅に耐えられない。
そんなことを言いながら、奮闘する飼育係の人たちとパンダの様子に、一喜一憂しながらスマートフォンを毎朝見ていた。
彼女は実際に、そのパンダを見たことがあったのかどうか。
私は、仕事の都合で入園した際に、三度ほど眺めた記憶がある。どこかの動物園では行列ができるほどだと認識していたのだが、昼日中、ぼんやりとパンダを眺めていたのは数人くらい。パンダもごろごろ寝そべっているばかりだった。時間に終われ、仕事に追われていた当時の私にしてみれば、だらだらしている様に羨望のようなものを感じた。

或るドジョウ料理専門の店が閉じられていた。
初めて入ったのは、最初の職場、20歳近く年上の先輩に連れて行ってもらい御馳走になった。
その後、2度くらい。
妻と二人で行ったことも。
職場の飲み会で美味しかったと思う店へは私も連れて行ってね。家で美味しいものを食べたければ、それなりの資本投下が必要。
妻の口癖だった。
妻の口に合ったのかどうかは覚えていない。

容体を心配していたパンダより先に妻は亡くなり、ドジョウ料理の店も閉じられた。
彼女に話したいことが幾つも。
猫の寝言を聞きながら、
ril ちゃんは、どんな夢を見ているのかな。どうせ、とんでもない夢を見ているのだと言って笑う妻の声を思い出していた。