kanashiikimochide

sakeganomitaitoki

素麺 その2

眠りが浅く、まるで猫みたいだと思う。
その分、四六時中、うとうとしてしまうのだが、しかし、猫のようには生きていけない。

食欲がなく、何もする気持ちになれない。
これが、老いるということなのだと考える。
昼食はいらないか。」と思ったのに、素麺を茹でる気持ちになったのは、もうなくなってしまった角打ちを思い出したから。朝から飲みたい老人たちが集まる店だった。

通っていたころは、夏メニューにあった素麺を頼んだことはない。酒や水割りウィスキーのアテになるとは、私には思えなかったからだ。それに、素麺を頼んでいる老人たちは、朝昼夕と三回通ってくる。ちょっと飲んで食べて、終わり。まるで散歩の途中で立ち寄ったかの風情。財布を忘れてきて、払いは夕方にと謝っているのを見たことがある。むろん、小さな紙切れに、○○さん○○円と書かれて、レジ横に貼られるのだが。

そんなことを思い出しながら、茹でる素麺は、一把にするか二把にするか迷った。妻が生きていた最後の夏、三把の素麺を夫婦二人で、ずいぶん持て余したのを思い出したからだ。しかし、残れば、味噌汁にでも入れたらよいと考え、二把茹でた。
小さなぐい呑みに酒を入れ、一合は入るコップに水道水を入れた。

ゆっくり食べながら、いろんなことを考えた。
読み終わった本のこと。観ようと思った映画。しかし、それを観に行かなかった理由等々……。
話したい言葉は、あれこれ生まれてはきたが、それを話す相手はいない。
微かな風に揺れるカーテンの向こうには、真夏と変わらない陽射しがあって、それを虚ろに眺めながら、いつの間にか素麺二把を無事完食していた。
今日の晩酌は、普段よりももっと少なくて済みそうだ。

適量 その2

今日の晩酌も、いつもどおり。5時過ぎに始めて、6時半くらいには終了。飲んだのは、焼酎甲類のホッピー割り。2フィンガー分を瓶半分のホッピーで。その後、ワンフィンガーよりも少し濃いめのジンビームを、氷無しの水割りで。それを飲み終わって、皿洗い、レンジ回り、換気扇掃除のルーティンに取り掛かる。全て終わっても、漸く、7時を過ぎたくらい。
外は未だ明るく、一日開け放ったままの窓から入る風が心地良い。
しかし、以前のような夕暮れの散歩に出かけることはない。

暮れてゆく光を眺めながら、ふと母の言葉を思い出した。
「あんた、そこで飲むのを止められるんや。エライな。」
母の褒め言葉は珍しい。しかし、それをいつ言われたのか、どんな場所だったのか思い出せない。
褒められて、私は、何と応じたのかも。……
「機嫌を悪くするために飲んでいた誰かとは違う」と言ったのだろうか。
そんなことを言いそうだが、答えとしては、あまりにも良くない。
飲んでいて機嫌が悪くなるのは傍迷惑だが、飲んでいて楽しくなり、つい適量を越えてしまい、身体を壊してしまうのも、同じように不幸だと、妻の死後、思うようになった。

私が母に褒められるような飲み方になったのは、何度も悪酔いをした結果。或いは、角打ちの店で、綺麗な飲み方をする御仁に憧れた結果だと思う。
飲み方の良し悪しは、職業や、学歴には由来しない。
誰に文句も言わず、自分が決めた量を静かに飲み終わると、さっと勘定を済ませて店を出ていく人。
そんな懐かしい顔が何人も。

しかし、飲んでいた角打ちの店は、皆、コロナ禍の中で、廃業していった。
私自身もまた、外飲みしなくなった。