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夕方、明るい内に散歩に出ると、犬を連れた人に出会う。老いも若きも。男女を問わない。何人か道端で立ち話しているのは専ら年配の女性。その側を通り抜ける気力は持ち合わせていないから、曲がるつもりのなかった角を曲がることになる。

犬は、どうして大人しく、無駄話が終わるのを待っているのか。
そんな疑問から、昔、飼っていた犬のことを想った。
スピッツの雑種だったが、仔犬の時から賢かった。
おあずけ。お手。
教えもしない指示に従った。
祖母と同居する家にいた頃だから小学校の低学年。
その後、新しい家に移って、中学生の頃は、友人が訪ねてくると一声だけ小さく吠えた。
家には、呼び鈴がなく、犬が「呼びワン」だと友人は言った。
私を訪ねてくる友人は彼だけだった。
その友人と一緒に犬を連れて遊びに行ったことを思い出す。
中央図書館脇に、石垣に囲まれた小高い草地があった。
犬を抱えて草地に上げてやると、喜んで駆け回る。石垣の高さがあるから飛び降りることはない。
友人と喋っている間、犬は好きに駆け回っていて、名前を呼ぶと、側へ走ってくる。
草の上を転げまわり、匍匐前進のような動きも見せた。
頭を撫でてやり、顔を両の掌で包み込む。
舌を出し、尻尾を振り、喜びを表した。
その草地が何のためにあったのか。もう調べようがない。保育園の運動会の後だったか、その場所で写した家族写真があった。休暇中の父も一緒に写っているからタイマーで撮ったのだろう。
その草地が、いつ無くなったのか覚えていない。
高校生の私は、犬と一緒に遊ばなくなっていた。
学校から帰ってくると、ベッドへ転げ込む毎日。誰にも会いたくなく、誰とも話したくなかった。何故生きているのかと思うばかり。目が覚めると、窓の外は真っ暗。窓は自分の心そのものに見えた。
今では考えられないことだが、その間、犬は玄関先の犬小屋に繋がれたままだった。
そして、私が高校2年生か3年生の初冬に亡くなった。
餌を食べなくなっていると言われた数日後。小さな鳴き声に気づいて見に行くと、既に死んでいた。
まだ暖かい亡骸をビニール袋に入れ、それを段ボール箱に納めた。ビニール袋が微かに曇ったのを見て、涙が溢れた。
どこかに引き取ってもらう電話は、翌日、私が登校してから、母がしたのだろう。

犬が言うことを聞くのは、飼い主に全幅の信頼を寄せているから。・・・
飼い主は、その信頼に応えなければならない。
私は、その信頼に応えなかった。
折に触れて思い返し、何度も悔いた。
私には、生き物を飼う資格はない。
退職後、猫を飼いたいと妻が言うのに同意して、今に至る。
私は少しはマシな人間になれたのか。私の側で寝言を言っている猫を眺める。
悲しくなるが、私には分からない。