kanashiikimochide

sakeganomitaitoki

♫貧乏は不運で病気は不幸♫

臥せっていて、高田渡の歌声が思い出された。
そこから叔父のことを思い出す。父よりも随分早くに亡くなって、今年はもう何年になるのか。

或る年の元旦。伯母の家への年始に、その時も私は欠席し、家に一人でいた。夕暮れ近い頃、叔父が訪ねてきた。
高校生の私だけがいる所へ、叔父が一人でやって来たのだから、年始の会は多分例年の如く、飲んだ挙句の口論になったのだろう。父が休暇中だったか覚えていない。父がいなかったとしても、一番年下の叔父も酒で荒れるタイプ。三兄弟は飲むと、互いに相手のことを好かんヤツだと思っていたのではないか。
薄暗い玄関に立った叔父は、長いこと顔見てなかったなと言った。
正月早々家で一人。何をしていたのか。と訊かれた。
スピーカーを通してレコードを聴いていた。と応えると、どんなレコードか。と訊く。
ターンテーブルに乗っていたのは、高田渡の「汽車が田舎を通るそのとき」
分かりやすいB面に針を落とした。
朝日楼
新わからない節
ゼニがなけりゃ
…と続く。おもしろい歌を聞いてんのやな。と叔父は言った。
父は私の好きな歌は全て嫌っていたし、私は父の好きな歌は、どれもイヤだった。
だから、好意的に聞こえるコメントがあったのが意外だった。ひょっとすると、「おもしろい歌」という言葉には、叔父一流の小馬鹿にするニュアンスが含まれていたのかもしれないが。
私は、それに気づかず、「鉱夫の祈り」に耳を傾けていた。

正月早々一緒に高田渡を聴いた叔父に、その6~7年後、媒酌人をお願いした。
ずっと小学校の校長先生だったと思っていたが、途中で、同和教育の行政職に転じていた。それを知ったのは随分後になってからだ。

 

その叔父夫婦も既にいない。私の姓は私で終わり。男は私以外の誰も、生きていない。