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五月の光

午後6時を過ぎても散歩道は明るい。
傾いた陽射しを受けた木々の緑と影に見惚れて、屡々、足が止まる。
遥か頭上、鉄塔の送電線が風を受けて鳴っていた。
(いらか)の波と 雲の波
定型の歌詞が口を衝いて出た。
鯉幟を揚げた父の顔、叔父の顔を思い出す。父は30代半ば、叔父は未だ中学校へ上がる前か。60年以上も前だから、遠い昔のようでもあるし、二人の笑顔の鮮やかさが、それを打ち消すようにも感じられる。
庭に立てた竹竿は、いつの間にか朽ち果てて、地面に近い部分に僅かな痕跡が残った。しかし竹竿の先で泳いでいた鯉幟は、その後、どうなったのか記憶にない。
父の休暇が、5月にあることなど滅多になく、私の誕生日当日、赤い御祝電報が届くのが常だった。それでも、遥かな洋上から、通信士の父が自ら打電していたことは間違いない。
私は柏餅よりも粽の方が好きだった。細長い円錐の形状や色、笹の葉の匂いがする、そこはかとない甘さが好きだった。
しかし、今日は歩いていて、灰汁(あく)巻きの味を思い出した。もう何年も食べていないし、今では、きな粉が、どうも苦手だ。それでも、思い出すと、無性に食べてみたくなる。鹿児島生まれの祖母は、どこから灰汁巻きを手に入れていたのか。買ったのではなく、自分で作っていたのだろうか。黒砂糖味の団子も、蒸し立ての熱々をよく食べさせてくれた。
歳をとるにつれ、五月は特別なものではなくなったが、文語定型の古い唱歌の歌詞を口ずさんだ所為か、遠い人たちの懐かしい笑顔を思い出した。

(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり

忘れていた美しい五月の光だった。