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悲しい報せ

新聞、テレビを見なくなって久しい。
ニュース・サイトでラインナップを眺める程度。そのたびに思うのだが、悲しい報せばかりだ。楽しいものや、この先に何らかの夢を抱けるものが、どれだけあるだろう。
そう思うのは多分もう歳だから。残り時間は僅かだと感じる所為なのか。

あの震災がなければ、変化は、今よりももっと緩やかだった気がする。それこそ、ぼーっと生きていた私には、痛痒のない程度だったに違いない。
飲みながら、ふと思い描く風景には、今はない街や建物が次々に現れる。

1995年の夏に、妻と見た映画がある。
当時、好きだった俳優が主演するSF映画。良い出来とは言えなかったのかもしれないが、映画館を出て、飲みに行く道すがら目にした現実の方が、映画よりも遥かに荒廃した世界だった。馴染みのある建物が、放水されながら、解体されていく。その傍を急ぎ足で通り過ぎる人々の身なりは、皆、薄汚く、アスベスト粉塵を危惧して、マスクを装着していた。
震災後、街中での初めての外食に、悲しさばかりが募ったものだ。

それから30年近くが過ぎて、良いことの記憶を、指折って数えてみるのだが。
耳にすること、目にすること、毎日は、あまりにも悲しすぎる。
五つの赤い風船の歌を思い出す。
お花畑の夢_
賢しらな手合いに誹られようが、私は御伽話を聞いていたい。