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脆弱な心

この日、久しぶりの晴れの日。
甲南の山に西日が当たるのを見たくなった。
しかし、そう思いついてから、幾日も日が経っていて、大学の新年度が始まっていた。
昔、妻と新しい家を探していた頃、そこが私たちには手の届かない地域であることを承知しながら、ぶらぶら歩いたものだ。
大学の食堂で、軽食を食べたのを思い出す。出入り自由。長閑なものだった。
それがこの日は、道路にも門の中にも、学生が溢れていた。何よりも、あちらこちらで見かける警備員の姿に恐れをなす。同窓でもないし、近所で暮らす人間でもない。
記憶の中の、甲南の雰囲気とは大きく異なっていた。

西へ向かって歩き出して、住吉川に架かる阪急の橋梁が目に入ると、何かホッとするような気持ちになった。Bridge over Troubled Water という言葉を思い出す。
しかし、歩道に立つ桜の老木には、近々伐採するという予告の張り紙があった。虫に食われ、幹の半分以上が洞になっていて、倒木の恐れがあるらしい。
そこからさらに西へ行くと禍福無門の碑に出くわした。来歴から細雪の水害を思い出す。
幸せも災いも、特別な門があるわけではない。というのは理解できる。しかし、その人自身が呼び寄せるものだと、誰かに言われたくはない。
誰が揮毫した文字なのかも記されていた。
近衛文麿内閣内相_さもありなん、そんなことを言いそうだ。
被災地の人々に、自業自得 福善禍淫だと言えば、今なら非難囂囂だろう。
しかし、本当に、そうだろうか_とも思い直す。
自己責任、自助努力
そんな言葉が次々に湧き上がってくるのではないか。

神戸はその後、植林を続け、砂防堰堤を作り続けて、今に至る。
それでも、大きな水害に2度見舞われている。被害は禍福無門の頃よりは少なくなっていても、亡くなった人はゼロではない。
長閑な風景を眺めたくて、久しぶりの外出だったが、却って気持ちは沈んだ。
住吉川から眺めた六甲の山並みは美しかった。
しかし、美しい風景は、多くは災厄の結果に過ぎないのだ。
阪急の鉄橋と、開け放たれた中学校の正門脇の桜が美しかった_と記憶するにとどめておこう。

 

スライドに使用した音楽は

Ilya Truhanov - Acoustic Guitar Music For Video
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