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マヤカン

今では廃墟として有名な摩耶観光ホテル。
学生時代、夜通しの飲み会の会場として何度かサークルで利用した。
建前上は研修という名目だったのだろう。
西宮あたりで飲み会する金額で、泊りがけのコンパができた。酒も食材も全て持ち込み。食器や鍋、コンロの類は施設の物を利用していたのか。
私は不機嫌そうな顔つきで参加しておきながら、人よりも多く日本酒を飲み、すき焼きの肉を食べていた。途中、何度も、休憩がてら建物内部を彷徨った。カメラの趣味があれば、いろんなところを写していたはずだが、ただわけもなくうろついて、あちらこちらを眺めただけだった。
大騒ぎするのは厳禁というルールがあったようだが、所属していたサークルは、飲むと話好きになる程度で、静かなものだった。
三つ上の学年に、とんでもなくハンサムな男性がいたらしく、一つ上の学年まで、女子メンバーが多かった。が、私たちの学年より下には、女子メンバーは一人しかいなかった。従って、マヤカンでの飲み会は私が3年生の時に実施したのが最後になった。男子ばかりで食材を運び上げ、鍋を囲む気持ちにはなれなかったのだろう。

大騒ぎ厳禁だったが、他の利用客に出合ったことは一度もなかった。管理者が、どんな人だったのかも記憶がない。幹事では、なかったからなのだろうか。
誰もいない真っ暗な病院のような建物の中にいるのは、いつでも私たちだけだった。眼下に広がる神戸の街は、さながら遠い銀河のようだった。
夜中にジュースが欲しくなって、ケーブルカーの軌道横の階段を下りていく莫迦がいた。その真っ暗な長い階段を際限なく降りて、また戻ってきた記憶があるのは、その莫迦者は、私だったのかもしれない。或いは、誰かに面白がって付いていったのを忘れているのだろうか。