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妻の母親は若い頃、鳥取で暮らしていた。
秋になると立派な梨が、私の家へも段ボール箱で届く。
結婚してから、それはずっと続いていたのだが、それが不思議なことだと思うようになったのは実は最近のことだ。
親族の誰も梨農家ではない。
母親は数年前から記憶が不確かになり、米寿の祝いのことが思い出せない。自分は現在百歳だと考えている。
それでも毎年梨が届く。
父が生きている間は、父が。父の亡くなった後は、母が。母の記憶が不確かになってからは、妻の弟が、鳥取の親族に頼んで、梨を送ってもらっていたようだ。むろん、タダであるはずがない。

妻と私の二人だけでは食べきれない。娘が家を出て一人暮らしする前からも、そうだった。妻はせっせと近所へお裾分けしていたのだが、最後には、料理の食材に登場するほどだった。
大玉の立派な梨が、生ハムと一緒に出されるようになると何か複雑な気持ちになった。

退職前、職場で梨が配られたことがある。やはり鳥取のものだった。一人に3個ずつ割り当てられたのだが、家には持ち帰れない。土曜出勤の帰りがけ、立ち飲み酒房に寄ると、店には naoko さんがいるばかり。大将の昼寝の時間帯だった。理由(わけ)を話して、梨を3個受け取ってもらった。

naoko さんは、すぐに一つを剥いて小さな皿に切り分けた。
今貰ったものを、なんか変だけど、食べる?と訊いた。
爪楊枝を差してくれた一切れを、コップ酒と一緒に食べてみた。

昼寝から覚めたオトンは、冷蔵庫に梨があるのを見つけて、多分、何も思わず、食べるんやろな。そう言ってnaoko さんは笑った。
綺麗な笑顔だった。