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齟齬

飲み屋で一人黙って飲んでいる人間は難しい。
私も大概…なのだろうが。

その男はスキンヘッドに灰色がった緑の作業着。左腕は肘を曲げた状態で固定され、首から吊るされていた。
障害があるのか、骨折の治療中だったのか。人を寄せ付けない雰囲気で一人酒を飲んでいた。大声で話す酔客を店の大将が嫌っているのは、皆、承知していたから、静かに飲んでいる分には、何も問題はない。横で飲んでいて一度、あんたの仕事も大変やなと声を掛けられたことはあった。私が何の仕事をしているか話したことはないのだが。

或る夏の夕暮れ。店はそろそろ混み始めていた。突然、雨音がしたので振り返ると、引き戸を開けて入りかけた男が、店の外を見たまま立ち尽くしていた。そして、そのまま雨の中へ出ていった。

カウンターの向こうで大将が、偉いなと呟いた。その視線の先を追うと、店の前の横断歩道を、男が傘を差して歩いている。傘は、乳母車のような歩行車に縋る小さな老婆に、差しかけられていた。男の作業着の左肩が濡れているのが見える。信号は赤に変わっていたが、二人が渡り終わるまで何台もの車が待っていた。

偉いヤツやな。なかなか出来ることやないで。大将が、もう一度呟いたのを、傍にいた客の何人もが聞いていて、小さく頷いた。

スキンヘッドの男は、暫くしてから、もう一度、店の引き戸を開けた。
大将が、彼に一言、偉いな_と声を掛けた。
しかし、男の返事は、莫迦にするな_だった。照れ隠しのような雰囲気ではなく、怒りを吐き捨てるような感じだった。

大将が、怒り出したのは言うまでもない。
人の言葉を素直に聞けんヤツやな
大将が、そんなことを言ったのだが、
俺を笑いもんにしたいんやろ、莫迦にしやがって_男の怒りは増すばかり。
もう二度と来るな
来るもんか
罵り合う声が今でも記憶の中に響いている。

 

その後、別の店で一人で飲んでいるのを一度だけ見たことがある。男の左右には、ポッカリと空白が出来ていた。