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ギックリ腰

妻の死後、一人娘が、モーニングコール用のLINEグループを作ってくれた。
グループと言っても、メンバーは娘と私だけだが。
これで、引籠りの独居老人が、死後何日も気づかれずにいた_ということにはならない。

その毎朝のやり取りの中で、娘が、どうやらギックリ腰になったらしいという話が。
寒さの所為かなと思いながら、近くの整形外科を探して、受診するように_と返事した。
幸い、隣の建物内に、整形外科が入っており、様子を見ながら、行ってみるとのこと。
隣が病院!! さすが大都会と思った。
夕方、様子を聞くと、這い這いでしか動けず、勤めは休み、食事はマクドナルドのデリバリーをつまんだ程度。
LINEの文字に愕然とした。
明らかに、私の初動ミス。
何故、日中に見舞いに行かなかったのか。頭の中で、そんな言葉が鳴り響くようだった。

翌朝、出来るだけ早くに娘のところへ行くと約束。
それでも着いたのは10時過ぎ。
タクシーを呼んでもらい、近くの整形外科へ連れて行った。
(隣の医療施設の整形は、週に一回だけ。どこかから医師が通ってくるようなシステムのようだ。)
車の乗り降りも難しく、圧迫骨折等の心配もしたが、レントゲン検査から、ギックリ腰だと断定された。
痛み止めを背中に打ってもらい、腰痛コルセットを装着してもらった途端、立って歩けるようになった。
むろん、治ったわけではないのだが、それでも帰りのタクシー乗車は、ウソのように楽だった。

娘を部屋へ送りとどけ、近くのコンビニエンスストアで、野菜の入った総菜を幾つか購入して戻り、他に必要なものがないか確認した後、帰ることにした。

昼は梅田地下街で氷なしハイボール麦焼酎の湯割り。……
帰りの電車の中で、涙が止まらなかった。
私が先に逝くと考えていたが、娘ももう四十だ。
順番が異なることもある。が、そんなことを考えてもいなかった。
入退院を繰り返していても、私よりも長生きすると思っていた妻が既にいないのに。
どこまで甘えているのか。そう思うと同時に、私が死んだ後の、娘のことが……
 
ギックリ腰という名前には、どこか可笑しみがあるのだが。
動けない娘の姿は、私には、あまりにも衝撃的だった。