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既読

携帯電話を持ったのも遅かったが、LINEを使用したのは更に遅かった。
既読スルーからの仲間外れ、LINEグループ内での悪口を苦にしての悲惨な事例など。コミュニケーション・ツールに何故そこまで左右されるのか_という思いがあった。
メールするのと同じように、一対一でLINEをすれば良い。妻と娘に何度も勧められ、その都度、言を左右してアプリケーションを入れずにいた。
しかし、一度入れてしまえば、使い勝手はメールより遥かに簡便だった。通話もできるのだが、会話に窮することの多い私は専ら文字での利用だった。フリクション入力を学ぼうとはせず、液晶画面でのキーボード入力に頼る不便さを我慢して。
何よりも、相手に伝わったのかどうか、既読表示がつくのが有り難い。メールなら、本当に相手に届いたのかどうか返信が貰えるまで気に病む。既読さえつけば相手が見てくれたことは分かり、たとえ返信が無くても、それ以上余計なことは考えない。

入院した妻とは、一週間に一度しか会えない。時間は十五分と決められていた。だから、専らLINEのやり取りに頼った。むろん病人に負担をかけないように配慮を心がけた。

届けた薄っぺらいラ・フランスが美味しかったことや、夜間当直の看護師さんが優しく、まるで実の母に接するように細かいことまで世話してもらったことなど。読むだけで温かいものがこみ上げた。
娘と私と妻とのグループLINEでは、娘が九州物産展で購入した甘い醤油で盛り上がった。成分表に人工甘味料がたっぷり含まれていて妻は驚いていたが、娘は、九州の人のソウルフード、細かいことには気にしないと返していた。
その後、木枯らし1号が吹いて、私の偏頭痛が始まった件、カティサークの瓶横で蹲る猫の画像には既読がついた。
既読の最後は、優しい看護師さんに会えたら、お礼を伝えておくという私のLINE。
 今から出ます。
 必要なものはないですか?
翌日の
 おはようさん。
 (娘の名前)、午前中に来ます。
その二つには既読はつかず、私から妻へのLINE送信は終わった。
最後の送信の日から、意識がなくなり、回復しないまま、月曜日が火曜日に変わるころ、旅立ちが告げられた。
病院からの連絡を受けて、通いなれた坂道を急ぎながら仰ぎ見た空には、無数の星が輝いていた。
私はオリオン座を目指して歩いているようだった。

その火曜日の、暮方の空。娘のスマートフォン画像から。