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どこぞへ行っとったんかい?

久しぶりに見た映画。
何回か録画してディスクにも残していたのだが、フォーマットが変わり、見れなくなっていた。
最近放映されたのを改めて観た。1998年公開。もう25年も前のもの。たどたどしいセリフ。言葉と言葉が繋がるようで繋がらない隔たりのような間が映画全編を支配する。
高校の入学式前日、海辺で過ごしていた主人公に、晩御飯の準備をしていた祖母ちゃんが声をかける。
昼からどこぞへ行っとったんかい?
家出しとったん。
ほうかい。次はばあちゃんも連れてってやな。
映画の始まって未だそれほど経っていない場面での、このやりとりが好きだ。


夏休み、高校生だったか、それとも大学に入ってからか、一晩裏山で野宿をした。
夕飯を食べた後、くさくさした気持ちが収まらず、家を出た。行く当てはなく、ただ何となく、小学校の頃からよく遊んだ神社の裏山へ行きたくなった。少しばかり草木のない部分が頂上付近にあり、風化した花崗岩が露出していた。記憶していたよりも整備されていたから、ハイキングがてら来てみる人がいるのかもしれない。
松の木の切り株に凭れて、街の灯りや港の方を眺めた。
視線を東へ向けると、厳しい修行で名高い禅寺の屋根が見えた。何もかもが厭になって、出家したり私度僧になる人の感覚が分かる気がした。


ずっと起きているつもりだったが、途中ウトウトしたのか。ふと気づくと、少し離れたところに人影があるのに気付いた。私のように膝を抱えるようして座り、背中をこちらへ向けている。街の灯りや、遠くの港の方を見ているのだろうか。
そこにいるのは誰?
意を決して声を掛けたが、返事はなく、身動(みじろ)ぎ一つしない。
眠っているのか。
そう思いながら近寄っていくと、さっきまで人に見えていたものが、私が凭れていたような切り株だと分かった。
同じような切り株が、そこにあることに気づいていなかっただけなのか。
もとの場所に戻って、眼を凝らしたが、もう人には見えなかった。
そのまま、眠ることができず、夜が明けるころ家へ戻った。
次の日、一晩どこにいたのか、誰も訊かなかった。
私はもう大学生になっていたのだろうか。