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夏休みの宿題は涼しい朝の内にしましょう。
そんな指示を守っていたのは中学校の1年か2年まで。
家の中で、朝起きるのは、いつでも私が一番で、学期中よりも早く目が覚めた。
目が覚めると、もう寝てはいられない。あちらこちら散歩してまわる。
帰ってきても未だ誰も起きていなかったら、トーストを食べて、また外へ行く。
中央図書館で宿題をしたり、本を眺めたり。
それが高校へ入ると、夏休みの宿題に手が出なくなった。
どんなに考えても数学の問題が解けない。
そんな毎日を送っていた或る日、8月の何日に美術室へ集合という連絡が来た。
私のクラスの全員が芸術教科選択は美術。何故か、その学年だけ選択教科ごとのクラス分けであったため、美術がもう1クラス、書道が2クラス、残りは全部音楽だった。
学年所属の音楽科教師だけが常勤で、私たちの入学の年に転勤してきたヤリ手の教師だった。その教師が、突然、学年だけの行事として学年合唱コンクールをすると言い出した。音楽選択のクラスだけでやるのかと思ったのだが、学年行事だから、美術も書道も参加するとのこと。よく分からないまま、2学期実施ということになった。が、当然ながら音楽科による合唱指導は音楽選択クラスのみ。音楽室さえ使わせてもらえなかった。
8月の或る日の美術室集合は、その合唱コンクールのためのクラス自主練習だった。
古めかしい足踏みオルガンが美術室に運び込まれていた。誰が弾くのだろうかと思っていると、何人かの女子生徒が交代で弾いてみて、一番上手い子が選ばれた。
足踏みオルガンを弾くのはムツカシイと言っていたが、高校に入って音楽がないことにほっとしていた私の目には、弾ける子がいるだけで、ただただ驚異だった。
手書きのような楽譜が配られた。
曲は、その夏に、テレビを点ければ流れてくるCMソング。歌も好きだったし、公開されたばかりのイギリス映画のカットには、ただ見惚れるしかなかった。
だから練習などしなくても楽しく歌えるという理由で、クラスの誰かが選んだらしい。

練習は、その日の1回だけ_だったと思う。
2学期の或る日に、学年合唱コンクールがあり、私の所属する2組は、2番目の出演。
歌っていると、笑い声があり、CMのスポンサー名を囃し立てる「合いの手」も、観客席から聞こえた。
一度も指導をしなかった音楽科教師の講評は、下手の一言だけだった。
クラスの委員長が、皆の怒りを伝えに、音楽科教師のもとへ行き、何がどうなったかは分からぬまま、2年生では、学年合唱コンクールは実施されなかった。
3年生には芸術の時間はなく、当然、2度と合唱コンクールは催されなかった。

夏休みの、午後の美術室。美術部の活動の無い時を選んだのだろうか。噎せ返るような暑さだった。
運動部のメンバーは、その時だけ練習を抜けてきたらしく、汗にまみれ砂埃に汚れた練習着姿だった。
もの悲しい、足踏みオルガンに合わせて歌ったのを思い出す。暑くてアホラシさが募ったが、何故か皆、笑顔だった。
いろんな思いは、もう遠い時間の彼方。既に亡くなってしまった者も。
過ぎて行って帰ってこないものを考えてしまうのが夏なのかもしれない。