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外野スタンド

梅雨の晴れ間。
平日ながら昼間の野球場へ行ってみたくなる。もちろんゲームはやっていない。
外野スタンドのてっぺんに座って、緑の芝生を眺める。
あんなに綺麗に整備された芝生に立てるのは選ばれた者たちだけ。そんな特権を有する者たちのプレイを傍観する。それは本当に娯楽として楽しいものなのかどうか。どんなスポーツも、プレイする才能を持った者たちだけが楽しく、それを眺めるしかない者は本当は楽しくはない。あの手この手で付け加えられている付加価値に誤魔化されて勝手に夢を見ている。数字や記録。これまでのこと。解説と称するしたり顔の講釈。煽り。そんなものを全てとっぱらって、遠くからゲームを眺めていると、実はひどく退屈で、眠気を誘うような雰囲気に満ちているのが分かる。なかなか得点が入らず、このまま9回が終わるのかと思う頃、ホームランが飛び出してゲームが動く。あっけらかんとしたバカバカしさが、劇的なサヨナラホームランと美化されるのだ。外野スタンドから眺めていた者の実感では、欠伸を繰り返したことや,転寝しそうになったことが、その日一日の記憶であるのに。
しかし、日向特有の、眠気を誘う長閑な雰囲気にも、それなりの価値はある。
紙コップの生ビールか薄いハイボールを飲みながら、緑の芝生を眺めていたい。吹いてくる風も、きっと心地良いはずだ。