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干鱈

立ち飲みしながらカウンターの中、調理スペースを眺めていた。
手前すぐ近くのガラス容器で目が留まった。スルメ下足やエイノヒレ等の珍味の中に、白っぽい棒状のものがある。あれは鮭トバではなく干鱈ですか?
洗い物をしていたお姐さんは、干鱈という語ではなく、鮭トバに反応したらしい。
鮭ではなく鱈ですが、少し炙りましょうか?と訊き返した。
軽く炙って少し柔らかくなったそれは、恐れていたほど塩辛くはない。干鱈特有のささくれ立ったような裂け目も懐かしかった。
店では何というメニューなのか品書きを探すが見つからない。乾きものの全てが表示されているのではないから諦め、次からも、商品を指さしながら、あの干鱈を…と注文していた。
もともと容器の中には僅かな本数しかなく、何回目かには品切れになった。そして、例によって、補充はされなかった。食べていたのは私だけだったのだろうか。
小学校の担任の先生が、鱈も鰊も、子供に比べると親は値打ちがないと言っていたのを思い出す。
その頃から、何かと何かを比べるという発想に馴染めなかったしイヤだった。タラコはタラコ。カズノコカズノコ。鰊も鱈も好きだったし、それぞれは別の食べ物。それぞれに美味かった。
鮭トバのような干鱈は、何という商品だったのか。分からないまま消えてしまい、店も居抜き物件に変わってしまった。
ネット商品のどれを見ても違う気がするのは、年寄りの依怙地さが働くのだろう。溜息をつくしかない。